稲佐山からの1000万ドルの美しい夜景。
2021年に上海、モナコと並び世界新三大夜景に選ばれ、2022年には札幌、北九州と共に日本新三大夜景にも選ばれている。
稲佐山からの夜景
淵神社駅から標高333mの稲佐山頂上まではロープウェイで約5分。綺麗な夜景に見惚れているとあっという間に着いてしまう。
頂上の展望デッキから街全体と海岸線一帯を含む360度の大パノラマ夜景が楽しめる。
💛イルミネーションの計らいも!!
出島
江戸時代の鎖国下に置いて西洋との唯一の窓口として作られた人工島。
ポルトガル人やオランダ人が居住した洋館(復元建物)が多くあり、そのなごりを海岸沿い一帯で味わうことが出来る。
夜には出島ワーフの洒落たテラスで美味しい酒と新鮮な料理を楽しみながら会話が弾む。
グラバー園と大浦天主堂
長崎の名所と言えば真っ先に挙げられるグラバー園。この一帯はかつての外国人居留地で園内にはその時代からの9棟の洋風建築物がある。その中の一つであるグラバー邸は2015年に世界遺産に登録された。
グラバー邸
外国人女性の雰囲気がごく自然にフィットする。
しっかりとした趣きの洋風建築に存在感がある。庭の石畳にはハートストーンが。
旧三菱第2ドックハウス
グラバ園の一番高い位置にあり長崎港一気に望む建物は旧三菱第2ドックハウス。1896年 (明治29年) 岩崎弥太郎が有する三菱造船所の横に建築された外国人乗組員用の宿舎である。1972年、第2ドックハウスを長崎市に寄贈と同時に現在の場所に移築された。2階のベランダからいっそう長崎港を一望できる。
大浦天主堂
国宝で世界文化遺産でもある大浦天守堂は1864年、幕末の開国と同時に長崎に集う多くの外国人商人用の教会として建設された。そこには1597年に豊臣秀吉により十字架にかけられた宣教師26人 (日本二十六聖人) が捧げられた。ザビエルから始まる日本のキリスト教の歴史はこの時代まで自由な信仰を獲得するまでの苦難の道のりがうかがえる。
日本二十六聖人殉教記念碑
(Picture will be posted here in the near future. Be sure to … )
信徒発見 の 奇跡
大浦天主堂が出来た次の年の 1865年3月17日、この天主堂において、禁教令下で密かに信仰を守った浦上の潜伏キリシタン達が、プティジャン神父に信仰を告白した。神父は直ぐにフランス、ローマに報告をし「信徒発見の軌跡」として世界に知られることになった。
長崎新地中華街
日本3大中華街のひとつ。横浜、神戸に比べ小規模であるが歴史は開国に伴い発展した2都市より遥に古く、1571年のポルトガル船の来航により長崎の町が誕生した頃まで遡る。
やはり、ここの中華街では 本場ちゃんぽん を食べずに長崎を語る事が出来ない。
皿うどんも種類が多くとても旨い!!
長崎孔子廟
1893年 (明治26年) に清国政府と在日華僑にて建立され、その後いく度かの改修はあったものの、中国山東省曲岐の総本山並みに建物の各処に壮麗な伝統美が凝らされた日本で唯一の本格的中国様式の霊廟である。
孔子は中国春秋時代の思想家・哲学者で需家の始祖。孔子の死後約400年かけて弟子たちが教えを編集した「論語」で知られている。
眼鏡橋
長崎と言えばこれ、見事な眼鏡と一匹の鳥がしっかりと迎えてくれます。
諫早
諫早駅に、なんと眼鏡橋!!
実は日本で一番最初に国の重要文化財に指定され石橋が諫早公園の中にあります。
見事に、どうみても眼鏡そのものです。
1839年 (天保10年) に当時の領主・領民が永久不壊の願いを込めて、それまで大きな橋が無かった本明川に掛けられた石造りのアーチ橋。橋の長さ49.25m (長崎市内の眼鏡橋の約2倍)、高さ7m、幅5.5m。
1957年に死者・行方不明630人を出した本明川の諫早大水害時には永久不壊の願い通り欄干の一部が損傷しただけであったが、眼鏡橋がせき止めた流木やがれきが水の流れを変え被害を拡大したとされ、復興策において爆破解体案が浮上した。しかし当時の市長らが町のシンボル、かつ文化財としての保存活動を進めた結果、日本の石橋として初めて国の重要文化財に指定され、その後今の諫早公園に移設された。
また、向かいの高城公園にもミニ眼鏡橋があり、まさに眼鏡橋と言えば諫早・・と言わんばかり。
諫早大水害を起こした本明川は通常は水面も明鏡止水のごとく穏やかである。
67年たった今 (2024年7月25日) でも本明川一帯で約2万個の万灯に灯りをともし、犠牲者の冥福を祈る「万灯川まつり」が行われている。